育児・仕事・移住(ヨガはほぼおやすみ)

アラフォー共働き女の二人育児と仕事の両立、移住について。

【二人目育休】産後5ヶ月の所感。色々な不安を言語化してみる。

赤ちゃんも5ヶ月を迎え、引っ越しからも半月たちました。

 

部屋の片付けも、部屋を心地よくするためのお買い物も、かかりつけの病院めぐりも終わり、今週からいよいよ「ペーパードライバー」脱出のための講習が始まります。加えて予防接種も終えられたら、育休中にやりたかったことが大分出来たことに。

 

今日は「仕事復帰」についての所感。昨夜の夢が復帰するも誰からも声をかけられずボッチと化す、みたいな夢でした。昨日の夕飯で夫にも漏らしたのですが、不安感が最近強いのです。それが夢に現れたのだな〜ということで、グダグダ悩み続けないために整理したいなと思います。

 

私はアメリカに本社がある外資系企業に勤めているのですが、産休はともかく育休なんてものが存在しない国なので、「秋くらいまでは休む予定」と産休前に上司に言った際に上司がものすごく面食らった覚えがあります。というわけなので既に私は職場に戻っていると思って知り合いから「もうそろそろ復帰した?Catch up しようよ!」「秋頃まで?Wow」みたいなやりとりがたまーにあります。その度に「日本の育休は大分Lenient でね、、、」という説明をしつつ、胸がキュー、となります。

 

そう感じる度に、「いやいや、まだやりたいことが残っているし、今に集中して、満喫するぞ!」と思い直すのですが、心のどこかにまだ後ろめたさや孤独感が残っています。これは何なのでしょう?

 

背景にありそうな理由を書き出してみます。

  • お金の不安雇用保険から育休手当が出るとはいえ、ここ1ヶ月の出費は生活費以外が物凄いことになっています。引越費用、新しい幼稚園への入園費諸々、地方なので車を購入したことによる保険や諸費用(カーブミラー、日除け、ベビーシート)、ペーパードライバー講習代、新しいカーテン(サイズが違って前のがつけられず)に収納家具、戸建て特有の日用品(外用の虫対策)などなど。新しく生活基盤を整えるにあたってどれも必要な出費とわかっているものの、あまりのお金の出て行きっぷりにゲンナリしているのも事実です。そんなこんなで働いていたらあんまり気にしないだろうなぁ、という出費にまで目を光らせてしまい、その度に疲れてしまうのです。
  • 復職後の生活の不安。育休で仕事はしていないとはいえ、毎日家事育児所用で忙しくしています。運転できないので用事を1つこなすにも夫の運転が必要なので時間を自由に使えないのも理由の一つ。車なしでは、子供の病院(2つ)、予防接種、預けるかもしれない保育園の見学、買い物、郵便を投函(‼︎)などがこなせない。。。家事も地味に忙しく、朝も起きてから上の子供を送り出すまでで疲労困憊。昼間も上記の用事に加えて色々と買い足さなければいけないものを調べて購入し、掃除や食事作りや食洗機の片付け等。子供が帰宅してからはケア、食事、お風呂、寝かしつけまでは休みなし。言葉は発達してきて出来ることが増えているものの、2−3歳の頃とは違う大変さになってきた感あり。子供はどんどん大きくなって手のかかり具合が変わってくるのだな、、、と実感し、こういった「外から有無を言わせず降りかかる変化への対応」と今ある生活のための家事と下の子のお世話に加えて、「仕事」なんて出来るのか。そしてそこに私が回復するための「Me time」はあるのか、あったとしても疲労困憊でスマホ見てお終い、になるんじゃないか。さらに家族はいつも疲れて不機嫌な私といることになるんじゃないか、といった不安に見舞われています。今ですらギリギリのところでやってるなと感じることがしばしばで、そこに仕事が加わったらどうなっちゃうの?と思っています、正直。せっかく移住したのに、忙しすぎて移住ライフを楽しめなかったらどうしよう、なんて思いもあります。
  • 長期的な将来への不安。子供達が成人して、大学に行くとしたら+2年。生活と彼らが社会に巣立つまでのサポート(お金と心地よい生育環境)を提供できるのかどうか。今の仕事を今後も続けられるのか、転職するにしても40超えた子供ありの女性にオファーなんてあるのか、そもそもキャリアアップなんて望んでいないわけで、、、。2つ目の不安とも関連するけど、生活に必要なお金を稼ぐ手段としての仕事(=ライスワーク)を心のゆとりを持ってどうにかこうにか続けていけるかどうかへの不安が強い気がします。

 

これらの不安が育休を早めに切り上げていたとして解消するのかというと、おそらく解像度が上がる部分と下がる部分があり、上がったものは対処され、下がった部分は忘れられていくように思います。当面のお金のことはお給料で気が楽になって薄まるだろうし、仕事との両立は渦中に放り込まれることで走り続けることで解像度が上がり、さらに細かく対処していけることになりそうです。ペーパードライバー講習の後は運転ができるようになるはず、だし!

 

長期的な不安については、、あと長くて5年は今の会社で仕事を続けられそうな気がしますが、そのあとは正直なところ(仕事を続ける)自信が全くありません。管理職であっても乳幼児を育てていようとも常に成長(ラダーを上る)が前提とされるわけですが、これまでの上司達は皆、今の私+1くらいのラダーで会社を去って行きました。優秀な彼らですら、です。キャリアアップとなる転職を果たした人もその中にはいましたが、男女関わらず、子供はいませんでした。逆にいうと、お子さんがいる人たちはどうしてもパフォーマンスに求められるものと、様々な制約の中で提供できることの間が乖離して行ったように思います。

 

こう書いていて、自分の中に「子供がいなくて自分のことだけ考えて邁進できている」ことに対する憧憬と同時に、有り難みも感じていることに気がつきました。つまり、世の中にケアすべきは自分だけという前提で生きていけるのが羨ましいと思うと同時に、制約がある自分は邁進できなくて(パフォーマンスできなくて)も仕方ないのだ、という相反する感情です。ただこれが難しいのは、同じように子供がいる人でも「ケア」と言われる労働を外注したり家族に内注したりしていてあたかも前者のように振る舞える人がいることです。以前いたチームでは女性と男性の管理職の割合が4:6くらいでしたが、男性が皆揃って専業主婦に支えられていたことがありました。これはロケーション問わず、です。お給料が日系企業よりも高めの外資系あるあるですね。この内部分裂により、ケアすべき家族がいても力を持ち続ける人はケアをしつつ仕事を続けたい人のニーズや制約が理解できず、後者は地味なプロジェクトにアサインされるか、管理職であれば肩たたきにあう、ということが起きていると思われます。

 

私は家族のために色々考えることが増えた状況にまだ適応しつつも戸惑いを隠しきれずにいて、そして家族を支える方に振り切ったとしてもお金を稼ぎ続けるには完全に仕事を見捨てることもできず、羨ましいという感情と付き合わなければならない事実に辟易しているのだと思います。こうやって書いていて、だいぶ入り組んでいるし、人に説明できる気がしないです。この悩みとどう折り合いをつけていくのか、また改めて書きたいと思います。