GW明け、湿度も高くなく朝晩は少しひんやりしていて、過ごしやすかった。そこにGW疲れとAI疲れが重なって、常に眠たかった。特にお昼ご飯の後はもう。。。学生時代のように、自分の腕を枕にして机上で寝たりした。
AI疲れは前回の日記に。
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今週のAIとの主な協業とそれに対して思うこと:
- Editorial review(機械的なチェックと文脈や読みやすさ含めたチェック)の自動化ツール作成。→LLMの限界を色々と体感。やらないとわからないし、もっと勉強が必要だと実感。
- ドキュメント作成(上記自動化の試行錯誤のまとめ)→ドラフトさせてから自分でかなり手を入れたパターン。
- 仕事先からの斜め上に飛んできたボールに対しての返答の検討結果を上席(英語のみ)に通すための英文構成の推敲。→もっと自分で完成度を高められたら良かったと反省している。でもAIの提案は素晴らしく、どうしたらこういうふうに考えられるのかの相談をした方が良かったかも。
- 社内ステークホルダーへのお願いメールの推敲。→こっちは逆に自分でほぼ書けた。
- 別のドキュメント作成(ドラフトは自分でやり、英文や関連Documentとの整合性チェックをAIに)→まあまあいいバランス。英文における自分の癖も指摘させたのが良かった。
AIとの付き合い方、距離感はまだまだ試行錯誤が続くと思う。前回エントリを書いた前後から、以前だったら自分で書いていたよな、というドキュメントは最低でも構造(骨組み、セクション)は自分で考える、可能であればドラフトは自分で書くように意識し、行動も変えた。
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ドラフト後の推敲も、AIがなかった頃は自分やチームメンバーにお願いしてやっていた。これについては、現在のところAIの力を頼っている。
でも多分、推敲もなるべく自分でできるところまでやって、本当の最終チェック、というところをAIに頼むのがいいのかもしれない。時間的な制約が非常に大きい場合を除いて、ここで得るもの(素早いかつ高クオリティなFeedbackによる完成時間の短縮、Documentの受け手からのスピードとアウトプットに対する評価)に対して、失うもの(じっくり思考し、読み手の立場から構成を考え直したり、足りない点に気が付く力)を吟味する必要がある。
そういった能力はAIが得意なのだから手放して別のところに注力したらいいのではないか、という意見がある。人間は判断だけをするだけで良くなる?
じゃあいい判断はどこから来るんだろうか。様々なデータや意見やファクトが上手くまとまったペーパーをAIが作ってくれたとして、それを元に思考し、議論し、判断する力は全く別物として訓練できるものなのだろうか。綺麗に整理された内容だけを受ける側が鍛える必要のある能力とは何なのだろうか。
先週読んだDavid EpsteinのRange という本では、望ましい困難(desiable difficulty)というのが紹介されていた。その中には、生成効果(generation effect)というのがあり、自分一人で答えを出そう(生成しよう)と奮闘することは、たとえ出した答えが間違っていてもその後の学びは強化される、ということらしい。学習の速度は遅くなり、短期的には成績は下がる。
他にも、「インターリービング」(又の名を多様性練習(varied practice))という「望ましい困難」の1つにより、帰納的推論(複数の事象をもとに、1つの結論を導き出す推論方法)の能力が高まるということが紹介されていた。それまでに見たことがない戦い(問題)においても、根本にある概念的な関連性を認識して、それに合う戦略を適用していく力が育つという。それは、AIがある今の社会でも相変わらず重要なことだと思う。
本での紹介事例は主に学校教育や軍隊におけるもので、働く私の状況に照らして私が「どう」行動を変えていけばいいのかのヒントまではわからなかった(これから思いつくかも?)。ただ、生成AIからすぐにFeedback(答え)をもらうことは「望ましい困難」の逆を行くことは確実だろう。
良い思考や判断ができるようになるには、という観点で引き続き考えていきたい。
